設計ができるようになりたい、うまくなりたい。
最近そう思うようになったのですが、具体的にそれってどういうことなんでしょう。
建築学生していると、
「あの人っていつも選ばれるよね」
「あの子めっちゃできるよね」
「あの人は手が早い」
「あの人めっちゃ本読んでて言葉がぽんぽんでてくる」
とか、いろいろ感じたり、友達同士で話したりすること、よくあるのです。
で、そういうひとが、いわゆる、『設計できる』人として、見られている、ような気がします。
でも、果たしてそれは『設計できる』といえるのでしょうか。
そう疑問に思った私は、とりあえず自分よりもいろいろ知っているであろう、先輩に聞いてみました。
そしたら、
「建築、課題についてよく考えている人が、『設計できる』人なんだと思う。」
と、言われました。
確かに、何も考えないで設計している人よりも、いろいろ考えて設計している人のほうが良い作品(『良い作品』の定義も曖昧ですが)をつくっている印象があります。
まあ、少なくとも、そこは超えていないといけないと思います。
ですが、そこから先、が、問題なのです。
おそらく、私の予想では、いかに努力ができたか。そして、自分に正直に、建築と向き合い続けることができたか。
そうすれば自然に、よくわからない、『設計ができる』人になれるのだと思います。
言葉にするのは簡単ですが、めちゃくちゃ大変。
どんな努力をすれば良いのだろう。整理してみます。
・雑誌や本を読む。ジャンルは問わず
(建築の知識・建築家の思想・感性を磨く)
・トレースする・図面を描く
(建築のパターンを頭に叩き込む)
・スケッチをする・絵を描く
(建築を観察・アイデアを形に変換する練習・自分なりの表現方法を模索)
こんな感じですかね。
もちろん、設計課題やコンペなどは当たり前として。
このブログでは、努力の部分や私の思考を書いていけたらなと思います。
『設計できる』人って、一言でいうと、努力できる人、なのかな。
少し違うような気もするけど。実際にそういう人になってみないとわからない気がします。
答えを出したかったけど、出せませんでした。
2018年4月27日金曜日
2018年4月24日火曜日
気づきメモ180423
たぶん、思っている以上に、自分が見ている風景と他人が見ている風景って、違うんじゃないかなと思う。
ー
たとえば。
いつも同じ場所で会う人がいるけれど、その人とは話さない。
そういうとき、人は、外見ですべてを判断するしかない。
でも、あるとき、その人は友人と話していた。
その時、その人の向こう側にある世界が少しだけでも見えた気がする。
なんか、目に見えない道、みたいなイメージ。
こうしている間にも、個人個人の時間が別々に過ぎていくのって、当たり前のことなんだけど、なんだか不思議な感じがするな。
ー
たとえば。
人が近づいてくる。でも、その人は誰にも話しかけないし、私たちもその人に話しかけなかったとする。
私たちの中のひとりは、それを、「まるでみんながその人に気づいていないみたい」と言った。
私は、「なんかその人にすごくみられているな」と感じていた。
気づかれていない人、とみるか、見ている人、とみるか。
自分が思ってもいない視点で、そのギャップが面白くて、大爆笑だった笑
ー
たとえば。
いつも同じ場所で会う人がいるけれど、その人とは話さない。
そういうとき、人は、外見ですべてを判断するしかない。
でも、あるとき、その人は友人と話していた。
その時、その人の向こう側にある世界が少しだけでも見えた気がする。
なんか、目に見えない道、みたいなイメージ。
こうしている間にも、個人個人の時間が別々に過ぎていくのって、当たり前のことなんだけど、なんだか不思議な感じがするな。
ー
たとえば。
人が近づいてくる。でも、その人は誰にも話しかけないし、私たちもその人に話しかけなかったとする。
私たちの中のひとりは、それを、「まるでみんながその人に気づいていないみたい」と言った。
私は、「なんかその人にすごくみられているな」と感じていた。
気づかれていない人、とみるか、見ている人、とみるか。
自分が思ってもいない視点で、そのギャップが面白くて、大爆笑だった笑
2018年4月23日月曜日
気づきメモ180422
そうだ、毎日ブログを更新しよう。
ということで。挑戦してみます。
毎日、その日その日に気づいたことからブログ記事を書きます。
いつまで続くのかーーー。
ーー
建築をやっているせいか、空間に目がいきがちなんです。普段から。
今日も、いろいろ感じたものがあります。
例えば。大人数で話す、という場面があったとします。
こういうときって、たいてい、いくつかのグループに分かれますよね。
そうすると、同じ空間に、いろいろな話が生まれます。
もしかしたら、話している人たちよりも近い位置に、別のグループの人がいたりするかもしれません。
でも、その人とは全く違うことを頭に浮かべている自分。
そういう関係って、面白いと思いませんか。
ーー
私、自分の性格的に、SNSというものに全く抵抗がなくて。
SNSと遊びと建築、全ぶごちゃまぜにできちゃうんです。
それでよく驚かれるのですが、そんな変なことなんですかねー?
国民のほとんどがスマホを持っているこの時代。
私は、SNSとかでいかに自分の居場所を作ることができるか、が勝負というか、そういう時代になってきているんだと思っています。
だって、見ず知らずの人とか、これがなかったら絶対つながれない人たちと意見交換できるわけですから、すごく魅力的だし、相当強いと思いませんか。人脈が、何十倍、何百倍にもなるんですから。
あと、大ブームが来る前にSNS見つけてアカウント大きくしとくと、後々楽なので、今探してるんですけど、、、
建築系でよさげなのがまだ見つかってないって感じです。
ーー
自分が一度やったことに対して、他人から解決策があるよと言われると、ほかにも方法があったのか、と勘違いしてしまいます。
スマホの壊れた充電コード、マステで補強してたのがはがれちゃって、別の人が直してくれたけど、またマステで補強されただけだった…笑
ーー
こんな感じでいこう。てきとーに!
ではーー。
2018年4月12日木曜日
トレース日記。2日目。
トレース2日目です。
コンペのちょっと失敗してもう一度やり直しになったついでと、毎日続けるために、ある本をトレースすることにしました。いつか紹介します。
1ページ目から。
森博士の家 / 清家 清 (1951)
2018年4月11日水曜日
トレース、始めました。1日目。
お久しぶりです。
表参道建築巡りの記事、書くのやめました。ごめんなさい。
書いていてそんなに楽しくなかったので(笑)
さて。自分の設計の力があまりになさすぎて、最近悔しく思っています。
なので、トレース、始めました。
効果はあるかわかりませんが、それを判断できる能力も自分にはないので、とりあえず、コツコツ1年は続けてみようと思います。
思い立ったが吉日。本がないのでとりあえずネットで調べて学生のコンペの優秀作品をトレースし始めました。
パソコンできないので手描きで。
途中経過報告しないとやめちゃいそうなので、これからもちょくちょく報告していきたいと思います。
では。
40分
表参道建築巡りの記事、書くのやめました。ごめんなさい。
書いていてそんなに楽しくなかったので(笑)
さて。自分の設計の力があまりになさすぎて、最近悔しく思っています。
なので、トレース、始めました。
効果はあるかわかりませんが、それを判断できる能力も自分にはないので、とりあえず、コツコツ1年は続けてみようと思います。
思い立ったが吉日。本がないのでとりあえずネットで調べて学生のコンペの優秀作品をトレースし始めました。
パソコンできないので手描きで。
途中経過報告しないとやめちゃいそうなので、これからもちょくちょく報告していきたいと思います。
では。
40分
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