設計ができるようになりたい、うまくなりたい。
最近そう思うようになったのですが、具体的にそれってどういうことなんでしょう。
建築学生していると、
「あの人っていつも選ばれるよね」
「あの子めっちゃできるよね」
「あの人は手が早い」
「あの人めっちゃ本読んでて言葉がぽんぽんでてくる」
とか、いろいろ感じたり、友達同士で話したりすること、よくあるのです。
で、そういうひとが、いわゆる、『設計できる』人として、見られている、ような気がします。
でも、果たしてそれは『設計できる』といえるのでしょうか。
そう疑問に思った私は、とりあえず自分よりもいろいろ知っているであろう、先輩に聞いてみました。
そしたら、
「建築、課題についてよく考えている人が、『設計できる』人なんだと思う。」
と、言われました。
確かに、何も考えないで設計している人よりも、いろいろ考えて設計している人のほうが良い作品(『良い作品』の定義も曖昧ですが)をつくっている印象があります。
まあ、少なくとも、そこは超えていないといけないと思います。
ですが、そこから先、が、問題なのです。
おそらく、私の予想では、いかに努力ができたか。そして、自分に正直に、建築と向き合い続けることができたか。
そうすれば自然に、よくわからない、『設計ができる』人になれるのだと思います。
言葉にするのは簡単ですが、めちゃくちゃ大変。
どんな努力をすれば良いのだろう。整理してみます。
・雑誌や本を読む。ジャンルは問わず
(建築の知識・建築家の思想・感性を磨く)
・トレースする・図面を描く
(建築のパターンを頭に叩き込む)
・スケッチをする・絵を描く
(建築を観察・アイデアを形に変換する練習・自分なりの表現方法を模索)
こんな感じですかね。
もちろん、設計課題やコンペなどは当たり前として。
このブログでは、努力の部分や私の思考を書いていけたらなと思います。
『設計できる』人って、一言でいうと、努力できる人、なのかな。
少し違うような気もするけど。実際にそういう人になってみないとわからない気がします。
答えを出したかったけど、出せませんでした。
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